7月29日 極楽のあまり風
7月29日は、祖母の命日でした。
83歳の時に祖父を看取り四半世紀、
長い間、自分より年上の人に会ったことがない、とか、
たぶん、天に召されるリストの付け落ちだから、死なない気がする、と笑っていた祖母。
事実、100歳を超えて、一人で郵便局に行く途中、
交通事故にあい足を骨折した時、
(事故の原因は、途中で忘れ物を思い出し、急に踵を返した自分が悪かったと言っていました。)
良くて寝たきりだとの診断に、主治医の指導の倍のリハビリを勝手にし、
歩いてさっさと退院したことがあります。
亡くなった時は、108歳。
肺炎をこじらせ昏睡状態になり、もうお別れが近いと、
東京や横浜やあちらこちらから子や孫が集まり病室にいると、
不思議と少しずつ反応が戻り、笑顔が戻り、会話ができ、
大きな病院から、近所の小さな病院に転院してからでした。
自分で歩き、食事もでき、退院間近のある日、
トイレから戻った祖母は、一人でベッドに上ろうと、
見舞客用の丸椅子に足をかけた瞬間、
椅子ごと転んでしまい、大腿骨を骨折。
そこから数か月の入院生活の間に、徐々に眠る時間が長くなり…
誰もが認める大往生でした。
祖母は、9人の子を授かり、99歳の白寿の祝いに、
その子や孫の家族総勢70人、近くの温泉に1泊したことがあります。
マイクを持ちあいさつし、歌い、踊っていた おばあちゃん。
玄孫(やしゃご)には、『ひいひいば』と呼ばれ、
(ひいばあちゃんの親だから)、
一緒に遊んでいた おばあちゃん。
長生きした分、子供や孫に先に逝かれる
辛い経験も何度かした おばあちゃん。
二日しか違わない父の命日に、同じ墓に仲良く眠る祖父母にも、
感謝の気持ち、伝えてきました。
山の中腹にある墓には、その日も『極楽のあまり風』がそよ吹き、
セミの声と小鳥の声に交じり、
父や祖父母の笑い声が聞こえた気がしました。
毎年、何もないことを祈るように過ごす7月最終週。
今日で7月も終わります。
暑い暑い、と言いながら、皆元気で過ごせていることに、感謝です。
ね、明日架!

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83歳の時に祖父を看取り四半世紀、
長い間、自分より年上の人に会ったことがない、とか、
たぶん、天に召されるリストの付け落ちだから、死なない気がする、と笑っていた祖母。
事実、100歳を超えて、一人で郵便局に行く途中、
交通事故にあい足を骨折した時、
(事故の原因は、途中で忘れ物を思い出し、急に踵を返した自分が悪かったと言っていました。)
良くて寝たきりだとの診断に、主治医の指導の倍のリハビリを勝手にし、
歩いてさっさと退院したことがあります。
亡くなった時は、108歳。
肺炎をこじらせ昏睡状態になり、もうお別れが近いと、
東京や横浜やあちらこちらから子や孫が集まり病室にいると、
不思議と少しずつ反応が戻り、笑顔が戻り、会話ができ、
大きな病院から、近所の小さな病院に転院してからでした。
自分で歩き、食事もでき、退院間近のある日、
トイレから戻った祖母は、一人でベッドに上ろうと、
見舞客用の丸椅子に足をかけた瞬間、
椅子ごと転んでしまい、大腿骨を骨折。
そこから数か月の入院生活の間に、徐々に眠る時間が長くなり…
誰もが認める大往生でした。
祖母は、9人の子を授かり、99歳の白寿の祝いに、
その子や孫の家族総勢70人、近くの温泉に1泊したことがあります。
マイクを持ちあいさつし、歌い、踊っていた おばあちゃん。
玄孫(やしゃご)には、『ひいひいば』と呼ばれ、
(ひいばあちゃんの親だから)、
一緒に遊んでいた おばあちゃん。
長生きした分、子供や孫に先に逝かれる
辛い経験も何度かした おばあちゃん。
二日しか違わない父の命日に、同じ墓に仲良く眠る祖父母にも、
感謝の気持ち、伝えてきました。
山の中腹にある墓には、その日も『極楽のあまり風』がそよ吹き、
セミの声と小鳥の声に交じり、
父や祖父母の笑い声が聞こえた気がしました。
毎年、何もないことを祈るように過ごす7月最終週。
今日で7月も終わります。
暑い暑い、と言いながら、皆元気で過ごせていることに、感謝です。
ね、明日架!
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この記事へのコメント
と呟いたおばあちゃまですね。
長く生きた分、幸せな時間と共に辛い時間をも過ごされたのでしょうね。
25年間パートナーと別れての生活、
人を責めず素晴らしい御方ですね。
因みに私の祖父、106歳の長寿でした。
御年配の方の話を聞くのは、為にもなり楽しく 好きです。
ソレイユさんにとって、色々な想い込み上げる7月なのですね。
それにしても、毛皮を着ている明日架ちゃんはさぞかし暑いでしょうねえ。
勿論人それぞれで若く亡くなる人もいれば、
長生きできる人もいて…
そして家族の輪がどんどん広がる人もいれば、
その人の代で途絶えてしまう人も…
幸せな人生を送れた人もいれば生涯苦労がつきまとった人も…
あぁ、本当に不思議です…
戦後70年を迎える年でもあり、どんどん当時の語り部がいなくなり日本も変わっていくことでしょう…
戦争を体験した方が今の日本を支えてきた気もします
80代、90代のお年寄りを普段邪険に見てる世の中ですが
私たちが想像できない苦労をなさった方達なんだと痛感します。
この夏と同じような暑さと空の下で70年前に生き死にを見てきた方々ですものねぇ
戦争を知れば知るほど、敬いたい気持ちになってます
お祖母様もいろんな辛い体験をされてきたことでしょうね
でも、こんな幸せな人生はないと言えるんじゃないですか…
たくさんの家族に見守られ愛され生き抜かれたんですものね
私もあやかりたいです
ありがとうございます。
100年の経験に基づくさまざまな話、祖母との会話はいつも楽しく、また、考えさせられることばかりでした。
ゴル子さんも私も、受け継いだ長寿の遺伝子。
願わくば、健康でボケずに年を重ねたいですね。
辛い思い出が多い7月ですが、今年は何事もなく過ぎ、ほっとしています。
ありがとうございます。
祖母が長く元気でいられたのは、体が元気であったのが1番ですが、常に好奇心旺盛で、何事にも積極的であったからかもと思います。
肺炎で入院する前日、本当なら、ひ孫の結婚式に出席するために、新幹線で横浜へ出かけているはずでした。
明日架、サマーカットにしたいところですが、美容室大嫌いなので、思案中です。
シャンプー直後の写真、よけいふわふわのぼわぼわに写ってしまいました。
ありがとうございます。
祖母は、明治33年の生まれ、大正中頃に結婚し、昭和、平成と、激動の時代を駆け抜けてきました。
祖父と共に、昭和の初めに台湾へ渡り事業を起こしたのですが、終戦と同時にすべての財産は台湾に残し、命からがら引き揚げてきたそうです。
あの時代の人は皆そうでしょうが、きっと、壮絶な苦労の連続だったと思います。
日本が福祉国家というのなら、
今の繁栄と平和の礎を築いたお年寄りが、安心して暮らせる世の中でないと、おかしいですよね。
100歳を超えて、自分のことが出来て
そして、眠るように逝く・・・
ちょっと理想です。
ただ、長生きした分、
辛いこと、悲しいこともたくさん経験され
たんですね。
私の祖母は明治44年生まれで、
94歳の誕生日間近で亡くなりました。
亡くなる迄の数日間、寝たきりに
なってしまいましたが、
しきりに、早く御迎えが
来て欲しいと口にしていたそうです。
この世に未練なく死ねることは
幸せですよね。
私もそんな死に方をしたいものですが、
どうなることやら・・・
明日架ちゃんの屈託ない笑顔を見て、
今日も頑張ろうと、思いましたわ。
ケントくんと一緒に生活したことは
花子ちゃんも幸せだったと思います
お父様とケントくん
同じご命日なのですね
祖母様 眠るように逝かれての大往生。。。
天国で皆さん 今は極楽の涼風に
幸せを感じていらっしゃる事でしょう
明日架ちゃんの笑顔 ステキです
暑いけどがんばりましょう
ありがとうございます。
100歳か、それとも明日か、
寿命も逝き方も、誰にも分からないですもんね。
そう思い、精一杯、生き尽くせれば理想ですが…
私も、トルコケント君が、ペットボトルを山ほど収集したり、お客さんを、石灰棚まで案内する様子に、いつも元気と笑顔をいただいています。
パムッカレも、とても暑いようですね。
ご自愛くださいね。
ありがとうございます。
たくさんの別れが続いた7月の末は、次々と切ない思いがこみ上げてきます。
でも反対に、その直前の1週間は、夫であったり、甥っ子、義妹、従姉…大切な人のhappy birthdayが続き、ケーキやプレゼントを用意する毎日です。
出会いと別れ、別れた人やワンコにも、そのうちまた、再会できるでしょうしね。
ライカちゃん、朝露の中、今日も早朝散歩かな?
3日に1日くらい、涼しい日があればいいのに、と、いつも思っています。